『さや侍』を観てきました。

遅ればせながら…
松本人志監督の映画第3作目『さや侍』を観てきました。

松ちゃんの映画は全て映画館で観てますが、今作が一番しっくりきました。


前二作と比べると一番シンプルで、言いたいことがハッキリと伝わりました。
(少なからず僕と嫁には…)


『娘への愛と父親のプライド。』

僕が感じたのはこの二つです。



以下かなりのネタバレを含む





主人公・野見勘十郎は妻の死以来、武士の魂である刀を捨て、鞘のみを腰にさして過ごしていた。
野見の娘は、それをよく思っておらず、武士としてのプライドを捨てた父を軽蔑し、「生き恥を晒すくらいなら武士としての自害(切腹)してください。」と叱責する。

藩の掟に背いたため捕えられてしまった野見は、流行り病にかかった若君を三十日以内で笑わせることができれば無罪放免。できなければ切腹という『三十日の業』に挑戦することになる。


こんな物語なので時代劇コメディかと思いましたが、最後の最後で、松ちゃんが言いたかったであろう本質、主張が理解できました。


それがさっきも書いた
『娘への愛と父親のプライド。』


最初は父を叱責し見放していた娘も、黙々と『三十日の業』に取り組む父の姿に心をうたれ、父を生かすために全力でサポートします。

そして野見は無罪を掴み取れるところまできました。
しかし、自ら切腹を選びます。


全く予想してなかった結末に息を飲んでしまいました。
コメディ(緩和)から一気にシリアス(緊張)に切り替わった瞬間でした。


僕の勝手な解釈ですが、

「最後はカッコイイ父親(侍)でありたい。」

野見はそう願ったのではないでしょうか…。
切腹した野見がとった行動が僕にそう思わせました。

腹に刺した脇差を抜き、自分の鞘にそっと戻したんです。
この行動はおそらく、《切腹は侍としてのプライド。鞘に刀を差すことで父親(侍)としてのプライド(刀)を取り戻した。》


侍のプライド=父親のプライド。
カッコイイ死に様は、侍のプライドであり父親のプライド。


侍の時代、カッコイイ死に様は、生き延びることよりも良い。
野見はそう判断したのだと感じた。



そして、野見が残した娘への手紙。
この手紙が映画ラストに流れる歌の詩(松ちゃん作詞)になっています。


野見が娘に書いた手紙ですが、
これは、松ちゃんが自分の娘に書いた手紙にしか思えません。
完全なる『娘への愛』が伝わってきました。


親でない僕ですら十分伝わってくるのですから、
娘を持つ父親は、たまらないのではないでしょうか。
(ここだけの話、嫁さんはラストで号泣してました。ここだけの話ですから嫁には内緒ですよ。)


正直、ラストを知っていて、もう一度映画を見返すと全然違う映画に感じると思います。
野見が黙々と若君を笑わせる姿ですら泣けてくるはず。

もう一度観たい映画です。
皆さんも是非。


おっと、長くなりました。